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今、フランスで新たな運動が広がっている。

それが「Nuit debout(ニュイ・ドゥブ、夜に立ち上がれ)」、だ。

ことの発端は、労働法の改正法案。現政権は左派の社会党だが、それがどんどんと右傾化していることが話題になっている中、この改正法案。

内容としても、例えばフランスならではの「週35時間労働」が実質的になしになったり、解雇した際の保証額に上限をつけるなど、雇用主を優遇する方向になる内容が盛り込まれている。

この改正案に対して、多くの人が激しく反対を表明。フェミニスト運動家が始めた署名活動では100万以上の署名が集まり、フランス全土で左派や学生を中心と したデモやストライキが行われた。運動は全国に広まり、格差を広げ続けるシステムに疑問を持った人々、職が見つからない若者たち、生活が安定しない非正規雇用やアーティスト、暗く不安な将来を押し付けられて憤る高校生らが声を上げている。

3月31日の夜もいつものように人々はデモの一環としてパリ市のレピュブリック広場に集まった。

いつもと違ったのは。

彼らがその日、その場から解散しなかった、ということ。これが「ニュイ・ドゥブ」運動の始まり。

要求をしない運動

この運動の思想的な部分で大きな役割を担っている経済学者のフレデリック・ロルドンはここまでのいろいろな社会的な闘争がこの運動を生んだとみる。そしてもう人々は政治家に「要求」することをあきらめたという。彼曰く、新自由主義の枠組みが前提の社会である限りはその枠内で政治に要求をしても一定以上は進まなくなる。そのことを理解した人々が、こうして公共の場に集まり、話し合い、自ら新しい提案を生み出すことを選択したのだ、と。

一般的にデモの目的は、政治や権力に対して要求をし、それを通すこと。ところが昨今それらの民衆からの運動を通じて表出する要求に政治家たちが答えられないという状況があり、また政治家たち自身も自分たちが要求に対して「何もできない」という答えしか持ち合わせていないことを知っている。ロルドンはそこを指摘しながら、同時に民衆の方も政治家たちが自分たちに対して何もできないことを知っているという。

デモのような社会運動は誰かに対して要求を突きつけるわけだから、A対Bのような二項対立になることで成立するが、この「要求することを諦めた」、という点 がこれまでの運動とは異なっている。ロルドンはあたかもオータナティブがないかのような状態、そして社会の枠組みの前提そのものを問い直す作業の重要性を訴えている。

ちょうどこの運動が広がりを見せてきた4月14日に国営チャンネル(France 2)でオランド大統領が「市民との対話」という番組に出演。どのように選択したのか分からないが、様々な 訴えや思想(左派から極右まで)を持っている一般市民数名とそれぞれ一対一の対話をするというものだった。来年の大統領選のイメージアップを考えてのことなのだろうが、結局どの人に対しても納得のいく回答をすることなく終わった。この番組は始まる前に多くの批判が集中したが、放映後その内容について大きな反響を得ることはなかった。今の政権に対する人々の冷たい視線、諦めというものを感じた。

一方、毎晩レピュブリッ ク広場に集っている人々がいる。そこではテーマごとにいくつも討論会が開催され、街の広場で民主主義とは何か、など様々なテーマについて見ず知らずの人たちと夜な夜な討論をしているのだ。

運動と思想、これからの問題点

もちろん、突如生まれたこの運動、そろそろ1ヶ月が経つが、問題もたくさん抱えている。というのも、基本的には左派といいつつもコミットする知識人の中でも思想の違いはあるし、労働組合員やアーティスト、失業者、高校生までが集うのでまとまることが難しい。

ブルジョワ階級などの研究をする社会学者、モニック・パンソン=シャルロは、「我々は富を生んでいるのだ、などという言い訳を盾に、労働者たちをコストと捉える人々には、もうたくさんだ」、「我々の側も団結して彼らに立ち向かおう」と呼びかけた。

組織化しなければ運動の目的が達成できないという考え方は人口学者のエマニュエル・トッドも同じだ。しかしその一方で、それではこれまでのその他の政治的な運動とあまり変わらないものになっていくともいえる。

逆に、ロルドンはというと、組織化ということや様々な考え方の人々を受け入れることを拒否する方向へと向かっているように見受けられる。彼の場合は思想の多様性をむしろ否定する傾向にあり、仲良く平和な運動などを求めているのではない、と攻撃的な姿勢を見せている。

ロルドンのような姿勢が、「ファシズムだ」とか「閉鎖的な運動」、「ポピュリズム」などの批判の対象になるわけだが、彼からしてみれば、政府の赤字と同額レベルの脱税を行う人々の方が「悪」であって、このような構造がある限り、彼らに要求をすることすら意味を持たないという論理になるのだろう。

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フランスでも若者の脱政治化が問題視されてきた。しかし今回のような運動がその傾向を覆し、新たな方向性を示せるようになるのでは、という期待がもたれている。

つい先日、ニューヨークのOccupyにコミットしていたという友人が、Nuit deboutにはOccupyを思い起こさせるものがある、と言っていた。

とりあえずの目的がこの労働法の改正案を通さないことだとしても、この運動そのものが世界的なひとつの動きの一端であることは確かだろう。

何はともあれ、こうして集う人々の共通点に、政治への失望があるわけだが、街中の見ず知らずの人々と議論しながら社会を考えるというシンプルかつ大胆なその姿勢が政治のそもそもの姿、あるべき姿を垣間みせてくれる。

M

 

 

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