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まただ…13日金曜日の夜、普段つけないテレビのスイッチを入れたときだった。自分の目を疑いたくなることが起きていたのは。

…そしてすぐに「まただ」と思った。

「まただ」。これは例えばイラクやアフガニスタンなどでテロが起きたというニュースを聞いたときに思うことだった。でももはやそれはパリで起きても思うこととなってしまった。

この週末。子供を公園で遊ばせようと思ったらすべてが閉まっていて、週末の子供たちの声が聞こえてこない。いつも行く市場が立っていない。

パリでのテロについて書こうと思ったのは、自分が住んで働いている街で、家族や友人がいるその街でおこったことだから。ちょうどその夜、子供が突然熱さえ出さなければちょうど銃撃のあった辺りに行く予定だったから。テレビでニュースを知ってすぐに、パリにいそうな知人に連絡を取りながら、落ち着かなかった。パリという街と私の個人的な関係があるので、こうして感情的になり、直接感じるものがあるというのはあたりまえのことだと思う。私は運がよく、現場に居合わせた友人はいたものの亡くなった知人は今のところいない。それでもやりばのない怒り、悲しみを感じ、怖いという感情を抱いた。

そして思ったのは、世界中で起きているテロのことだった。テロが起きたその場所では、私と同じような感情を抱いている人々がたくさんいるということ。この個人的な経験からイラクやアフガニスタン、つい先日のベイルートでのテロに思いを馳せた。

Facebookのプロフィールがトリコロールになるということの根底に悪意があるわけではもちろんないし、それは個人的に知っている人がいるから、とか、自分の生活にフランスが身近だと感じるからなんだろうと思う。

ではそこから一歩進んで、世界中で同じことが日々起きているということに、少しでも思いを馳せることができる人がいるのなら、一歩進むことにつながるのではないだろうか。

人の命の比較はできない。亡くなった人の数の比較も意味がない。私はだから、パリのテロはよくないが世界中のテロはどうするんだ、ということを言っても意味がないと思う。各国の報道機関の情報がすべて均一に世界中のことを取り上げるなんてできたらいいけれど、そんなことはできるわけがない。そもそも報道機関というのは国民国家をつくりあげている要素のひとつだから。でも今はインターネットもある。世界中のメディアにアクセスをすることができる。もしもこのパリのテロがその他のテロよりも身近なことだと感じたのであれば、その枠を広げて、自分から知ろうというスタンスを持つことが大切なのだと思う。

対岸の火事ではない

日本では大して報道がされなかった、ということを聞いたりした。実際のことは分からない。おそらく、ベイルートのテロよりも大きく、しかし9.11よりは小さく、ということなのだろう。ともかく、このフランスのテロが日本にとって対岸の火事ではないことだけは確かだ。なぜか。

  1. まず、テロは民主主義国家や先進国では起きない、などというのはもはや幻想でしかないことが突きつけられた。ISについて言えば、様々な国からリクルートが行われ、まったく自分の国とは関係のない場所で、彼らのイデオロギーに基づいてテロを起こすことが可能ということ。彼らに国籍などもはやない。だとしたら、別に日本が大丈夫などという根拠はどこにもない。
  2. さらに、今回の犯行声明にもあったが、フランスの軍が行ったシリアへの空爆の報復という点。日本も、昨今閣議決定した安保法制でこの軍事介入ということが自らの問題となった。「日本は関係ありません、できませんから」では通用しなくなったというのは一体どのくらいの人が身を持って意識できているのだろう。軍事介入をするという選択肢を持てるようになってしまったのが今の日本なのだとしたら、このようなテロは日本ではありえません、とは言えないのだ。
  3. また、今年の1月のテロでは、ジャーナリスト(イスラモフォービア)とユダヤ人が対象という犯人側の解釈があった。ところが今回のテロはそれこそ無差別。もはや対象も何もない。一週間を終えた金曜日の夜、男女交えて楽しく外食をすることや、好きな音楽を聴きに行ったり、サッカーを観戦するということ、それらは許されてはならず、死に値するという考えの下、その価値観を残虐極まりない方法で実現させる人々がいることにパリ中、世界中が(またもや)戦慄した。そして世界の多くの国、場所がテロの対象になっておかしくないのだということが改めて見せつけられたことになる。

戦争という言葉

オランド大統領は戦争という言葉を使ったが。戦争というのはそもそも国民国家が国民国家に対して行う行為である。戦争と言ってしまうことでISが国家であることを認めているようにも聞こえる。今回のテロを機に、じわじわとSNSでシェアされているビデオがある(https://www.youtube.com/watch?v=aY90k2IL9zw)。これはフランスがシリアに空爆を始めたときのドビルパン元首相がとあるテレビ番組に出演したときのもの。「テロに対する戦争」について、彼は、「それは敗北しかない戦い(意味がないもの)だ」と言う。イラク戦争のときにも反対を表明したドビルパン元首相は、ISやアルカイダといったテロ組織は我々(西洋社会)が生み出しものでもあるのだ、ということを前提とし、テロとの戦争ということがいかに無駄(けっきょく敗北しかない)か、そして暴力は暴力しか生まず、戦争は戦争しか生まないのかということついて述べている。彼が言うように、我々はすでに「負の連鎖に陥っている」のだ。彼の政治的イデオロギーはさておき、この点においては、まさしくその通りだろうと思う。

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今朝買い物に出かけたら、近所の人たちが「もうフランスはこれまで受け入れすぎた。もうたくさんだ」と話しているのを耳にした。悲しいけれど、こうして移民問題や難民問題につなげた、短絡的な考え方をする人たちが多くいるのも現実だ。今回のテロで亡くなった人たちの中には、外国人もいたし、いろんな宗教のひと達がいた。テロリストにもフランス人が含まれていることは明確になってきている。問題は複雑だ。思考停止になり、簡単な論理に流されていく人たちを少しでも食い止めなければいけない。イスラムが西洋に対して屈辱的な思いをしてきたことは無視できない歴史的事実としてそこにあるとして、過激派が望むこと、それは人々の間に亀裂を入れること、社会を混乱させ、内戦に至らせることだ。これはシャルリー・エブドの時も同じようなことを思い、書いているが、彼らが望む「イスラム」対「西洋」という図式に簡単に乗せられてはいけないことも確かだろうと思う。

M

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