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母と子

 

妊娠と出産を経て、育児に明け暮れる毎日を送りながら、いろいろと考えを巡らせていたところに、フランスの育児をする母親たちが運営するサイトを教えてもらった。

このサイトのスタンスは、母親になろうがなんだろうが、脳みそはあるぞ、というもの。

いろんなテーマ(出産、無痛分娩、母乳育児、学校、母親、食育…)について、メンバーの書き込み、分析、おすすめの本やペーパーの紹介、専門家による投稿等、たくさんの情報が詰まったサイト。

* Les vendredis intellos (金曜のインテリたち) http://lesvendredisintellos.com/

今回は『母乳育児とフェミニズム』という投稿が面白かったので、その内容の紹介を含め私の思うところを少し。

まずこの二つの関係性というのが気になるところ。

母乳をあげるという非常に「女性的」であり「女の特権」とも言われる行為と、ヨーロッパでは19世紀以降、常に女性の社会向上(つまり男性と対等な地位を目指す)のために発展してきた「フェミニズム」。

母乳育児を選択する母親はフェミニストでもありえるか、というのが大きなテーマ。

あまりフェミニズムの理論やロジックに詳しくない私は、母乳育児ということこそ、フェミニストが称賛する育児なのでは、と思っていたら少し違った。

ここでのロジックは、フェミニズムというのは女性の地位向上、そして男性と平等な地位を得る、というところにある。とすると、「女性的」と言われるものが否定される。お化粧をすることや主婦として家の仕事に徹するということなど。そういうものの中に「母乳育児」も含まれるということである。だから、フェミニズムのひとつの流れはラディカルで、子供を産むことすら否定的に考えるものがあるらしい。そうなると母乳育児などもってのほか、というわけである。

もともとの記事は去年の9月に人権系の雑誌に掲載されたランス大学教授(Martine HERZOG EVANS)のもの。

(参照:http://revdh.files.wordpress.com/2013/06/8seminaireherzog1.pdf)

そもそも母乳育児というのは自然の流れであるはずなのに、それがいかにして特別なことと認識され、さらには母親にプラスアルファの努力を求めるようなものになったのかについての記事。

主な論点として興味深かったものは以下のとおり。

①精神分析学的な視点からみた母と子の関係性

精神分析学の母と子の一体性という観点から、母と子を引き離す役割を持っているのは父親である、という話から始まる。母親は9か月間、自分の子についていろいろな妄想をし、ようやく生まれてきた子を自らの体の一部かのように愛するようになる。その異様な関係を正すのが父親の役割で、出産のときにへその緒を切るという行為からその役割は始まるという。そして母と子の関係性を正常に保つため(戻すため)に、例えば赤ちゃんには赤ちゃんのベッド、両親とは一緒に寝ないということや、子の要求に合わせて母乳をあげるというのは避けるべきという考え方が出てくる。つまり、母親の体が完全に子のために存在する、というのは好ましくないとみられるわけだ。そして「母親としての体」ではなく、男性(子の父親)に対する「女性としての体」であるべきという考え方につながっていく。この論に対し、論文の著者は、このような母と子の非常に密接な関係性こそが人類の歴史の中で、子が生き延びていくためにずっと必須であったこと、と主張する。つまり、母乳育児で求められるような密接な関係性のことである。一説によれば、母乳育児はごく最近まで平均5歳まで続けられるのが普通だったという研究結果もあるとか。

②女性の胸が性的シンボルとなった点

女性の胸というのが性的な対象、シンボルとなったのは最近のこと(それも西欧社会特有の)。そして産後の母親と父親の性的な関係が復活することを最優先すべきという考え方では、次のような論が展開されることがある。「女性、つまり母親が母乳をあげている期間、父親は性的シンボルでもある胸に対する権利を奪われた状態になる。胸というのは分かち合えるものではない。」つまり、胸という体の部位が子と父の間で奪い合いのような状態になり、男女の関係が復活できることが良いことであるとする場合、子に対する母乳育児は早くやめてよい、という考え方につながるわけだ。女性の体の多義性という複雑な問題に行き着く。そして胸というごく体の一部が女性を男性の「所有物」という対象にさせたり、子の生存のための手段になったりする。

また、このように作り出されてきた羞恥心や、タブーとなった体は公共の場においても問題になる。例えば公共の場での母乳をあげるという行為。以前、あるお店で母乳をあげようとしていた母親がお店から追い出されたということがあり、話題になった。これは母乳育児をしている母親たちからかなり大きな反発を呼んだらしい。母乳をあげるときもほとんど見えない胸が問題になる中で、ほぼ裸同然のような女性の身体を使った広告は完全に許されているこの社会はなんなのか、とブログの著者は問う。

③現代の働き方と母乳育児:仕事の場がいかに男性社会であるか

仕事の場というのはそれこそ母乳育児には向かない場である。ところが、長い歴史の中で女性というのは常に働いてきた。たしかに、家の仕事という形、そして無償という形ではあったにせよ、彼女たちは常に「働いてきた」。ところが現代に入り、女性も男性と同じように「外に出て働く」ようになった。お給料をもらい、外で働くというこのスタイルはもともと男性を基準にしている。つまり、母乳をあげている母親が同じように働くというのは不可能に近い話なのである。この仕事という場の時間についての記載がとてもおもしろい。仕事の時間というのは、妊娠という時間、出産という時間、そして新生児という脆弱で守られる必要のある存在の時間にはまったく合わない。仕事の場がとても男性的な場であるということと、そこに流れる時間は子持ちの人の時間にはマッチしないのである。この時間に合わせるために、「搾乳機」なるものも今では存在し、母乳は冷凍保存したりもできるようにはなっているけれど、完全なる解決策ではない。

例えば、保育園に子供を入れ、フルタイムで働くということは、週5日朝から晩まで子は他人と共に時間を過ごすということ。私自身、外で(ある意味男性のように)働きたいと思いながらもなんだかこの時間の配分が自然ではないなー、と感じてしまう。

最後に、ここでいうフェミニズムというのは、母乳育児を推奨するとかではなく、すべての女性が選択できるようにするべきであるという主張でむすばれる。たしかに母乳育児というのは、実際にしてみて思うが、いろいろと精神的にも体力的にもとても大変なのである。さらに社会的なプレッシャーがストレスになってしまったりもする。けっきょくやはり一番いいのは、女性(母親)がやりたいと思う方法が自然に選択できる社会であること。

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実際、母乳をあげていると日常的に「ハンディがあるな」と思うことはあった。もちろん、哺乳瓶を持ち歩かなくてもいい、とか、母乳は常に適温とか、いいこともたくさんあるのだけれど、やはり公共の場に出てでも(人前でも)あげたい、とは思えなかった。理論上では母乳育児が自然なことである、という理解ができても、自分の生きてきた社会が作り出す規範に逆らうのはとても難しい。ただ、このような考えが存在し、それを主張できるような社会をまずは目指すべきなのだろう。

子供や育児の時間を「ハンディ」と捉えてしまう「仕事の場」や「社会」。それがおかしいというのであれば、私たちが当たり前だと思ってきた考え方や価値観というのを根本から見直すことが必要なのだろう。

そしてこのブログでも問題になっているのが「資本主義」の社会。私たちの生活は資本主義社会にどっぷりとつかっているのは間違いのない事実。そしてそれが作り出したライフスタイルや親と子の関係、そして保育の一連のシステム。親と子という関係や働くということ、さらにはその社会において「女性である」ことなどをうまく調和させるにはどうしたらいいのか。多くの人が考えていることで、いろんな試みもある。

以前のAの投稿にあったように、今回紹介したような考え方や実践というのがわずかではあるかもしれないけれど、change within the systemの動きのひとつとも考えられないだろうか。

M

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母乳育児とフェミニズム(と社会)」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: Are you really going to eat that!? | modus inflamarae

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