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Embracing modernity

先週の講義は明治の近代化について。

E.H. Carrが『歴史とは何か』の中で指摘しているように、歴史は私たちと過去との対話であるから、歴史の語り方はいろいろある。当然のこと。で、この授業の目的である「ステレオタイプをぶち壊す」、そして「日本の近代史を『近代』というコンセプトを軸にして語る、つまり『近代』を再考する」ということを達成するために、明治という過去とどう対話するか。講義では特にふたつの視点(近代における自己認識・アイデンティティの問題、近代を規定する物質性と精神性の内在化の問題)を提示しながら、明治時代について説明した。

まずは、近代がアイデンティティ規定に与える影響とはなにか、前近代の自己認識と近代のそれとではどう異なるのか、という問題。授業では、特にPaul Valéry’s のレトリカルな問 “Comment peut-on être ce que l’on est”(人は如何にして人となるのか)を出発点として、Benedict Andersonの想像の共同体、そしてEdward Shilsのアイデンティティ構築における従属理論(Centre-periphery structure of identity construction)を用いて、明治期の日本における「日本人」としてのアイデンティティ構築について説明した。

Benedict Andersonによれば、近代国家とは空間的に限定された(もちろん国境の設定に拠って!)主権を持つ想像の共同体である。特に重要なのは「想像」の部分で、近代国家は国民同士がひとつのコミュニティに属することを「想像」することで成立するのだ。つまり、近代国家は物資性(例えば河川や森林や都市)と心像のネクサスに置いて存在しているということ。廃藩置県や明治初期に制定された統治に係る様々な法律は、近代国家日本の空間領域とその管理方法を規定したと捉えることができる。同時に明治憲法発布と天皇制によって日本人は皆、「天皇を家長としたひとつの大きな家族」に属するという心像を共有することになった。こうした分析は、もちろん、限定的なもので、より広いコンテクストを(意図的に)無視することになる。

では、開国し「他者」の存在を強烈に認識した明治期の日本人は、他国との関係の中で如何に自己のアイデンティティを規定したのだろうか。Edward Shilsによれば、世界システムの中心国家(ヘゲモニー)の国民のアイデンティティは、「我々は如何にして我々となったのか」という、ある意味で比較対象を必要としない問いかけから始まる。一方、周辺国の国民のアイデンティティは、中心国家との関係性を相対化することで初めて構築可能となる。大抵の場合、周辺国のアイデンティティは中心国家に対する不安感や劣等感に基づいており、自己否定や優越コンプレックスに昇華されていく、というのがShilsの基本的な考え方だ。日本は、もちろん、地政学的に西洋の「極東」、周辺である。明治期のインテリや政治家が、西洋に対する不安感や劣等感を持っていたことは間違いない。しかも、福沢諭吉のような西洋の優性を積極的に認める者だけではなく、(後の国粋主義者に支持された)会沢正志斎をはじめとする水戸学派の者も西洋に対峙した際の日本の欠点を認めている。しかし、彼らに共通しているのは、そうした劣等感が必ずしもShilsが指摘する自己否定に繋がっていないという点だ。福沢は脱亜入欧というコンセプト使って、会沢は彼の『新論』の中で、日本は周辺国という立場から脱却し、西洋と肩を並べる、そして西洋を抜去ることができると説くのである。同時に、彼らは、アイデンティティの心象地図を描いてみせる。そして、彼らの心象地図はふたつの「他者」を生み出すのだ。ひとつは、追いつき追い越すべき優れた(しかし同時に欠点も持った)西洋。もうひとつは、永遠に野蛮な日本を除くアジア。そうした「他者」に囲まれた「自己」は、世界のパワーバランスを覆す(つまり西洋を乗り越える)力を持った存在として規定される。つまり、この種の心象地図は、自己と他者を規定しながら、同時に国家の序列(ヒエラルキー)をも規定する役割を果たしたと言える。また、こうした自己規定は、オリエンタリズムが描く心象地図、永遠に野蛮で西洋の父権的な介入を必要とするアジアというイメージを、真っ向から否定しようとしたとも捉えることができるだろう。

第二の問題。近代を規定する物質性(materiality)と精神性(mentality)は如何に理解され、内在化され、実現されるのか、という問題。西洋における近代化は、近代を規定する物質性と精神性の双方があって成立すると考えられてきたし、実際にそれらを基盤に近代化が達成されてきた。しかし問題は、近代という概念が普遍化された特殊性であるという点にある。つまり、非西洋に、西洋で育まれた物質性と精神性を受け入れ、内在化する素地があるのか、という問題だ。さらにラディカルな立場をとるなら、こうした物質性と精神性を、非西洋は受け入れなければ近代化を達成できないのか、そもそも近代とは何なのか、という問題でもある。授業では、特にDipesh ChakrabartyのProvicializing Europeを引用しながら、日本の近代化が如何に、そしてどの程度、西洋的近代化が標榜する普遍性を否定し、オルタナティブな近代のイメージを作り上げようとしたか(また、それに失敗したか)を説明した。同時に、Chantel Mouffeの指摘するように闘技的多元主義こそが「政治的なるもの」となった現在、(少なくとも、この点において私はMouffeに同意する・・・)、近代という概念を支える普遍性、つまり”first in Europe and elsewhere structure of historical time”(Chakrabarty 2000:7)という直線的な歴史認識・時間認識は果たして危機にさらされているのかということを考察した。

物資性に関して言えば、明治期の日本は、西洋の制度や技術、文化を(注意深く選別しながらも)積極的に取り入れた。ドイツ式の軍隊、アメリカ式の教育、イギリス式の政治システム、スチームエンジン、街灯、コンダクター、洋服、髪型、牛肉、ビール。例を挙げればきりがない。そして、西洋の制度、技術、文化を受け入れることが近代化であると理解されていたことは間違いない。(ちなみに、当時の日本人は、ビールは理性的な人物の嗜好品と考えていた。ビール(というかアルコール)は理性を失わせるものなのに・・・)。しかし、精神性について考えてみると、佐久間象山の「東洋の道徳と西洋の科学技術、この両者についてあますところなく詳しく究めつくし、これによって民衆の生活を益し、ひいては国恩に報いる」という言葉が示すように、明治期の精神性は依然として儒教的道徳に基づいていたと言える。また、西洋的近代の精神性を象徴する民主主義やリベラリズムは、積極的に議論されたものの、内在化され社会政治システムとして具現化されることは無かった(そしてその後の大正デモクラシーもある意味では失敗している)。

では、東洋の道徳と西洋の技術を組み合わせた「日本式」近代は、西洋的近代のオルタナティブとなり得たのだろうか?はっきり言って答えはない(今のところ)。なぜなら、(私が考える限りにおいて)私たちは未だに「近代」を乗り越えていないし、もしかしたら、Bruno Latourが言うように”we have never been modern”なのかもしれないからだ。ただ、「日本式」近代を評価する上では、少なくともふたつの視点がある。ひとつは、明治の近代化こそが第二次大戦後の経済発展の素地を作ったとして、明治期の「日本式」近代化を評価する視点。これはとくに70年代のアメリカの開発政策学を専門とする学者の間で受け入れられた視点である。もうひとつの対照的な視点は、明治期の「日本式」近代化は民主主義やリベラリズムといった西洋的な精神性の内在化に失敗し、それが昭和期の軍国主義に繋がったとするものである。つまり、これは「日本式」近代化を否定的に評価する視点であると言える。

今週の講義は大正時代について。忘れられがちな時代ではあるけれど、日本の近代史の中では最も多様でエキサイティングな時代である。大正デモクラシー、新しい女、セクシュアリティ、フェミニズム、モダンボーイ、モダンガール、エログロナンセンス。そして何よりも、「日本式」近代を考える上でとても重要な時代だと認識している。

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