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Walking through British art @ Tate Britain

Walking through British art @ Tate Britain

Tate Britainが面白い企画をやっている。16世紀以降のイギリス人アーティストの作品をクロノロジカルに並べて展示するという企画。行こう行こうと思って1ヶ月。今日ようやく時間がとれたので行ってきた。

美術館には展示のテーマや作品の並べ方を企画・決定するキュレーターがいる。たいていの場合、芸術作品はアーティスト、テーマ、年代、国、或いは「~イズム」と呼ばれるようなアートの動向ごとに展示されるているのだが、今回のTate Britainの試みは、クロノロジーという切り口で作品を並べるというもの。そうすることによって表現される対象や表現方法の変遷、もっと大きく言ってしまえば「アート」というコンセプトの変遷を見せようとする、とても画期的な試みなのだ。

美術館の楽しみ方は人それぞれ。千差万別。お気に入りの作品だけを見に来る人もいれば、美術館という空間が好きな人もいる。はたまた、芸術作品が織りなす歴史性を感じて過去から脈々とつながるある種の「物語」を楽しむ人もいる。

個人的には、「アート」とは(政治も含めた)我々の現実を移す鏡だと思っている。だから美術館に行って私がすること。それは、「アート」と(私の専門である)「政治」をつなげることだ。「アート」の中の「政治性」を考えること、それが私の美術館の楽しみ方なのである。そういうテーマを持っている者にとって、今回のTate Britainの試みは、政治が如何にアートの世界に入り込んでいるのか、また政治の変遷がアートの変遷と如何にリンクしているのかを考えるまたとない機会を提供してくれた、というわけ。

以下、今日、Tate Britainで考えたこと。

16世紀のイギリスの芸術作品はイングランド貴族・王族のポートレイトかギリシャ神話をモチーフにした作品に大別できる。16世紀のイギリスは、ヘンリ8世のアイルランド占領、イングランド・スコットランド同君連合などに象徴されるような、イングランドを中心とした国家統一へと突き進む時代である。イングランド貴族・王族を権威的に、パワフルに描くことは時代の要請だった同時に、ハイ・カルチャーとしての芸術作品の対象となり得ることがポートレートに描かれる人々の崇高さ(場合によっては正統性)の象徴となったのではないだろうか。一方、この時代はギリシャ神話をモチーフとした作品も多く生み出している。これはイタリアで14世紀に始まったルネッサンスの流れが、時を経て、ようやくイギリスの芸術界に到達したととることができる。当時のエリザベス朝が政治的・宗教的な安定をイギリスにもたらしたこと、それによって芸術に打ち込む余力のようなものがあったのかもしれない。Encyclopedia Britanicaは「エリザベス朝の長い治世はイングランドの黄金期」として、「人々は生活を楽しみ、音楽・文学・建築・船乗りの冒険にも『愉快なイングランド』が現れている」と説明している。

17世紀に入ると、チューダー朝によって確立された絶対王政の基盤が揺らぎ始め、イングランド、スコットランド、アイルランドで反乱が勃発する。その後、クロムウェルによる清教徒革命を経て(清教徒革命自体は王権復古によって頓挫したが)、立憲君主制を掲げる議会と王権神授説を訴える王との溝が深まっていった。こうした時代背景は芸術作品にも反映されている。この時代の芸術作品の対象はイングランド貴族・王族から議会の議長や上流階級の人々に移行していくことになる。

18世紀のイギリスの芸術作品は当時「大英帝国」となったイギリスの世界政策の合わせ鏡のようなものだ。芸術という鏡は途方も無い広がりを持って政治を映すことになる。18世紀は植民地主義の時代でもある。東インド会社がアジアに進出し、インドを中心とした世界各国を植民地化していく。芸術作品にも褐色の肌をしたインド人が登場し始める。支配者としてのイギリス人と被支配者としてのインド人がひとつの作品に同時に描かれる時、イギリス人には意図的に光が当てられ、表情も豊かに描かれる。個人としてイギリス人がそこにはいる。一方、インド人はマスとして描かれ、ひとりひとりの表情ははっきりしない。被支配者は支配の「オブジェクト」であるから、そこに個人としての人間性は必要ないのである。マスとしてのインド人はエキゾチックで、子供じみていて、威厳がない。まるで、「支配されなければ」いけない存在であるかのようだ。ここに、パターナリスティックなイギリスの植民地主義政策の性格が見てとれる。(オリエントの女性化(feminization of the orient)については、もちろん、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』が明瞭に解説してくれている。)被支配者の「オブジェクト化」と同時に、植民地主義と切っても切り離せないのが愛国主義・ナショナリズムだ。「オブジェクト化」が植民地主義の外に向かう力だとすれば、ナショナリズムは内に向かう力と捉えることができる。アーネスト・ゲルナーの『民族とナショナリズム』によれば、ナショナリズムとは「政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する政治的原理のひとつ」である。この原理が脅かされたり侵害された時にナショナリズムの感情は刺激され、この原理が実現されたときナショナリズムの感情は満足感を得る。植民地政策とは「他者」との出会いあり、「他者」がもつ政治社会と自己のそれとが対立する瞬間なのである。カール・シュミットの『政治的なものの概念』を思い出すが、実存する他者・異質者を否定し、自己の存在を肯定しようとするとき、ナショナリズムほど便利な政治原理は無い。従って、芸術作品に愛国主義的な、ナショナリスティックなモチーフが取り上げられることは容易く想像できるだろう。たとえば、イギリス兵士達といったわかりやすいテーマと同時に、イギリスの牧歌風景やロンドンの街並など「イギリス的なもの」も多く描かれるのが、この時代の芸術作品の特徴のひとつとも言える。

ナポレオン戦争後の19世紀は、大陸との政治・社会・文化交流が復活した時代でもある。特にナポレンがエルバ島に追放されて以降、イギリスの芸術界とフランスの芸術界の交流がさかんになり、それぞれがそれぞれの技法やモチーフを受容していく。例えば、ルノアールの『舟遊びする人々の昼食』と構図もタッチもカラーリングもそっくりな絵が、イギリス人画家によって描かれたりしているのだ。西洋絵画史における最初の風景画家とされるイギリス人のターナーの作風は、後のフランスの印象派に受け継がれているように思われる。大陸ヨーロッパ以外との、そしてインド以東のアジアとの出会いがあるのもこの時代の特徴である。例えば、開国し明治維新の渦中にある日本、日本文化との出会いはイギリスの芸術作品にも反映されている。西洋のドレスを着たイギリス人女性が金魚の描かれた団扇をもってアンニュイに佇む様子を捉えた作品、或いは、読書をする裸婦が座る椅子の背に着物が無造作にかけられている様子を捉えた作品などが制作されている。ここで描かれるアジア、オリエントは、18世紀の作品に描かれる被支配者としてのアジア人(インド人)とは異なる。オリエントは好意的なエキゾシチズムの対象なのだ。しかし、面白いのは、ここでもアジア的なもの(例えば団扇や着物)一緒に描かれるのはきまって女性であって、オリエントの女性化というレトリックは引き継がれている。(ちなみに、この点についてゴッホの作品は少し異なるということを指摘しておきたい。)

20世紀は科学技術の分野おける革新の時代であり、それによって政治社会も変化した時代である(例えば国家総力戦と呼ばれる戦争の登場など)。こうした時代の変化は芸術界にも反映されている。例えば、アインシュタインの相対性理論によってこれまでの時空間の概念が一変された。哲学の分野においてもヘンリ・バーグソンによる時間再定義(time is in flux rather than in linear)がなされた。これによって、これまでひとつの視点で描かれていた絵画(ルネッサンス以降の一点透視図法)が否定され、さまざまな角度から見たものの形をひとつの絵として描く手法が誕生した。角度や視点の捉え方の変化はその後、より複雑な美術体系の構築につながっていくことになる。つまり「アート」という概念の多様化は、政治や社会の多様化と比例しているように思われるのだけれど・・・。

というのが、Tate Britainでの展示を見ながら、考えたこと。

A

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