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Aの投稿に続き、女性が「object」となっている話題をもうひとつ。

具体的には、日本での女性手帳の導入、という話。女性が何歳になったら結婚して子供を産む、とかいう「身体」をめぐるイシューについて政治、つまり権力が介入するということは、何を意味するのか。

今日の日本(あるいは現政府)の問題は、「少子化」、「経済低迷」、「晩産化」であるとする。だから、その問題に対する解決策として出てきた女性手帳は「日本の晩婚化及び少子化に歯止めをかけるための策」となる。

さて、今回問うてみたいのは、①女性のための産休や育休といった「制度改正」という解決策に対して女性手帳のような形の解決策とは、いったいどのような意味で異なっているのかという点と、②『なぜ今、この解決策なのか』。

そもそも「身体」という話。「身体」というのは、古代では魂を映し出す鏡のような存在だったけれど、その後、ホッブスやルソーの契約論などを経て、いわゆる「政治・国家」と「身体」が結び付けられていく。

フーコーはこの流れに対し、「権力」という新たな領域を見出す。彼によると、従来の【伝統的な主権】というのは、人間の「生」ではなく、「死」に対して権力を持っていた。つまり、人を死なせることへの権力が【伝統的な主権】ということ。そして17世紀、18世紀になると、人間の身体が機械のように権力に従順なものとなるよう監視・管理できるシステムがつくられる。その基盤が【discipline(規律)】である。監獄、学校、病院といった場所もこれにつながる。そしてこの【規律】が、彼の呼ぶ【生の権力(バイオ・パワー)】と密接に絡み合う。この【生の権力(バイオ・パワー)】は人間を「人口」として管理することを目的とする権力のこと。だからこの時期に、公共衛生の分野や、人口統計学が発展していくというわけ。つまり、権力は「死」に対する権力ではなく、「生」に対する権力へと逆転した。

もうひとつ。「生」ということから何を理解すべきか。古代ギリシャ語には、「生きる」ということを表すために、二つの言葉があった。

  1. 個人として、あるいは集団としての「生き方」であるbios(ビオス)
  2. 単に生物として「生きている」ことを指すzoe(ゾーエ)

ここでまず、最初の問い①について、考えてみる。

この女性手帳は、ネーミングからして人々の選択肢を広げる政策ではなく、一方向的で暴力的とすらいえる。なぜならば、例えば同じ問題に対して制度改正という形での解決策の場合、それは社会にいる(女性に限らず)人々の生き方の選択肢を「広げる」ことにつながる。ところが啓発という名の下での女性手帳は、上記したような【規律】をさらに設け、「女性」のzoe(ゾーエ)の部分を規制、管理するための権力介入ということになる。つまり、制度改正などの解決策と、女性手帳という解決策との違いは単なる「形式」の違いではなく、根本的な「本質」の違いということになる。

さらにもうひとつ重要だと思う点は、この介入が、「啓発」という看板を掲げてはいるものの、「経済(資本主義)」と非常に密接に結びついている点だ。女性の身体が「資本主義」の大きなシステムに組み込まれた一部品と成り果てている、とは言えないだろうか。

ここで、上記した問い②『なぜ今、この解決策なのか』に立ち返ってみる。

資本主義という巨大なシステムに呑み込まれている「国家」あるいは「権力」。その力を維持するために、現政府が必死に目指すのは「経済の立て直し」。だからそのためには例えば労働者人口を確保する必要があり、「人口ピラミッド」を建て直す必要がある。つまり、私たちの社会というのが、ひたすら「成長し続けること」を善とし、それを必死に目指す社会だということ。だから「女性は子供を産む機械」というような発言が政治的な場で可能となってしまうのではないだろうか。今の日本社会(日本に限らずだけれど)、資本主義の根本的な前提かつ目的である「成長し続ける」状態を維持するためには女性の「人口としての身体」に対して、権力が暴力的に介入することが必須となっている状態なんだな、と。

もちろん「身体」と「政治・権力」の関係性について今回私が引いたフーコーはあくまで「西洋」の視点であるといえる。しかし、現代の日本社会を考えるとき、グローバル化した世界における資本主義社会というコンテキストにおいて考える必要があり、上記した視点は重要になってくるのではないかと思う。

さて、私は一連の問題に対しての根本的な解決策はこのような形での身体への権力介入ではない、と思う。となると、結局この女性手帳というのは何の「解決策」にもなっていない、という結論になってしまうわけだけれど。

そしてもうひとつ。私たちの社会がひたすら目指してきた(目指している)「成長し続ける社会」とはそもそも、人間にとって本当に「善」なのか?

これはまた別で。

M

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