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"for hardworking people..."

“for hardworking people…”

The Guardianの今日のコラム。

If Abenomics works, Britain’s leaders will look like monkeys

はっきり言ってたいしたことは書いてない。「イギリスの政治家達よ、ドイツよりさらに東を見ろ、日いづる国で何か面白いことがはじまってるぜ」というだけのコラム。なんだけど、何が個人的に面白かったかというと、この一文。

… austerity is no longer an economic policy but a moral one in which someone must be found to pay for past profligacy. It is “a politics of crime and punishment, sin and atonement”. It seems almost to appeal to Protestant countries. They regard Greeks and Cypriots as singular sinners, but are all guilty.

緊縮財政はすでに経済政策ではなく、モラルを巡る政策になってしまっている、つまり、緊縮政策は罪と罰、罪業と償いを巡る政治であるということ。経済破綻国家の罪の意識を煽り、罰・償いを正当化するような議論の深層には、罪を認め償うべしというキリスト教的なモラルに対する考え方があって、必ずしも経済政策として有効とは言えないのでは、というのがこの一文の主張だ。

経済政策としての緊縮財政の有効性の検証については専門家に任せるとして、政治学・政治思想史をやる者として面白いと思ったのは2点。ひとつは、国家を人格化し、キリスト教的な罪・償いの対象としている点。近代国家の成立と政教分離、進歩主義によるキリスト教的精神主義の破棄を経、さらには「神は死んだ」はずのヨーロッパにおいて、認識論的な議論では今尚キリスト教的見方が息づいているのだ。

ちなみに、ニーチェの「神は死んだ」とは、ヨーロッパにおける宗教の衰退そのものを指すのではなく、形而上学的な実存、つまり超越的な彼岸世界への信仰の衰退による価値感の変化が、ヨーロッパを歴史的危機状態に陥れていることを指している。

世俗の政治権力と宗教的権威がはっきりと二元化した(はずの)ヨーロッパにおいて、なぜ、キリスト教的思考形態が未だ生き続けているのか。ひとつの理由としては、教会が政治的勢力圏即ち国家を超えてネットワークを構築し得たこと。もうひとつの理由は、政治権力にはない「救済」という概念が備わっていたこと。それによって、政治権力がナショナルな地域性を代表する一方で、教会とその教義は普遍性を代表することとなった。で、この普遍性の概念が主権国家の正統性やイデオロギーの正当性を語る際の前提、基盤を提供し得たのではないだろうか。エピステーメとしてのキリスト教的思考形態が、表層化しないまでも、現代のヨーロッパ社会に生き続けているとすれば、「神はまだ死んでなかった!」

(とは、言い過ぎかな)。

このコラムの一文から考えたもうひとつの点。エピステーメとしてのキリスト教的思考形態、もっと言ってしまうと一神教的な思考形態。つまり、「普遍性」への信仰と、それを追求するための「責任」の概念。キリスト教、あるいは一神教の基盤には、超越的な、普遍的な存在としての「神」がある。形而上学的真実在への信仰とは言い換えれば普遍性への信仰である。そして、「信仰」は、単純な「認識」と異なり、決断の契機つまり「責任」の契機があるという点だ。つまり、キリスト教的思考形態において、普遍性への信仰とそれに対する責任が重要なのである。人権や人道主義について考えてみるとわかりやすい。ヨーロッパで生まれた人権という概念、これは普遍的な権利であるされる。だから、この権利を剥奪された人がいれば人道的介入をするのがヨーロッパの責任なのだ、という議論。ユーゴ紛争、リビア介入、例を挙げればきりがないほど使い古された議論だ。この議論の正当性を支えるのが、人権の普遍性への信仰とそれに対する責任なのは明白である。

ヨーロッパにおいて、無意識のうちにキリスト教的思考形態を採用している者は多い。それは宗教から切り離された世界でも変わらない。緊縮財政の裏にあるロジックにはキリスト教的思考形態が垣間見える、という指摘は、まさに、現代の西洋の政治経済の様々な面を考える際にも有効なのかもしれない。また、これは何もキリスト教圏に限ったことではない。人は必ず、意識的にしろ、無意識的にしろ、ある特定のエートス、行動様式、思考形態に基づいて日々生活している。私はどんなエートス、行動様式、思考形態に縛られているのだろう?

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