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Hipster heartland

Hipster heartland

人は自分の周りの雑多な物事をカテゴライズすることで秩序立て、意味付けし、理解する。周囲を理解することは、同時に、自分の立ち位置を明らかにすることでもある。つまり、人は、自分の以外の人間・物事との関係性の中で自己を認識するということ。

(だから、一時流行った“自分探し”なんてものは、時間の無駄以外の何ものでもない。“自分”というものは外との関係性の中で既にそこに存在しているのだから。閑話休題。)

日本社会における人間のカテゴライズは凄まじいくらいに明確だと、日本に行く度に思う。オタク、大人女子、草食系、絶食系、DQN、CanCam系、腐女子、歴女・・・。と挙げたらきりがないのだけれど、これらだってもうとっくに廃れて、私の知らない間に新たなカテゴリーが生まれているのかもしれない。そんな日本人のカテゴライズ好きな性分と比較すると、イギリスでは長らく階級と人種と宗教というカテゴリーしか表層化していなかったような印象だ。

そんなイギリスでも、最近(色々な意味で)流行のカテゴリーがある。それが「hipsterヒップスター」。ヒップスターとは、サブカルチャー或いはカウンターカルチャーに傾倒する、独立した思考や革新的な政治を是とし、アートやインディロックをこよなく愛し、知性とウィットを重視する20代から30代の男女を示す。この言葉、ある意味では嘲笑的とも取れるものなので(他者をラベリングするということについてはまた今度にするとして)、ヒップスターと呼ばれる人々が自身をヒップスターと呼ぶことはない。ただ、彼らに取っては、ヒップスター的思考・態度・行動をとることが「クール」なのだ。

私の暮らす東ロンドンは、かつては治安の悪い貧しい移民街だったのだが、数年前からアーティストやデザイナーが移り住み始め、ギャラリーやインデペンデント系の店舗が格段に増えた。友達曰く「hipster heartland」、ヒップスターの中心地域なのである。最近、ようやく天気もよくなったので、毎週末、そんなhipster heartlandをうろうろしているのだが、ふと、サブカルチャー・カウンターカルチャーに見いだされるヒップスター的「クールさ」の正体とはなんだろう、と考えてしまったのだ。

「クール」というのは、美意識と同様にsubjectiveでaestheticなものだ。と同時に、そうしたsubjectiveでaestheticな感性は、自己と他者との相対的な関係の中でこそ意味を持つ。つまり、他者を見る視線というもの、自分以外の人間・物事をカテゴライズするクライテリアに、普遍性も絶対性もないのだ。自分が絶対的に「クール」だと思うこと、そしてその「クール」を規定する基盤ですら、「クールではないと自分が考えるもの」が無い限り存在し得ない。そこには無意識的な排除の精神があるように思う。面白いのは、「クールでないこと」と「クールであること」は、個々人によってどちらがクールであるかないかが変わってくる点だ。そうした意味に置いて、「クールでないこと」と「クールであること」はreciprocalな関係にあると言える。

ちなみに、ヒップスターがどういう人を指すのかを、少々サーカスティックに捉えた動画、Hipster Thanksgiving by Harvard Sailing Team。おもしろいです。

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