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Deptford High Street

Deptford High Street

Maiによる前回のポストの私的フォローアップ。

「まち」の「空気」というのはsubtleで、時にaestheticで、だからこそ感覚的なものだ。ひとりひとりが感じる「まち」の空気感は少しずつ異なる。けれど、同時に、そこには何かしらのcollectiveな感覚、共有される感覚というものがある。という見方の前提には、個々の人間のagency(個人としての主体性)の肯定がある、と思う。

このポストでは、個々人のagencyとは逆の視点から、「ひと」と「まち」について考えてみたい。逆の視点、つまり、「まち」を彩る個々人の視点ではなく、個々人の視点を統率し均一化してしまうような、ある意味では上からの力、都市計画の政治性という視点。

以前、個人的なリサーチブログに書いた記事、『機械都市ロンドン』から少しだけ引用させてもらう。

ロンドン市内南東部にあるDeptford High Street・・・観光地的ロンドンとは対極にある貧しいロンドンの縮図のような場所なのだ。ところが、1886年から1950年代までのDeptford High Streetは労働者階級から上昇してきた中産階級のマーケットタウンだったらしい。当時の映像からは、きちんとした身なりの人々で溢れる、活気に満ちた、コミュニティとしてのDeptford High Streetの様子が見て取れる。それが、どうして、スラムとまで言われるような最貧困地区のひとつになってしまったのだろう。原因は50年代以降のロンドン市庁による再開発計画にある。当時流行していたいわゆるモダニスト的都市再開発の最初の実験場としてDeptford High Streetは選ばれてしまったのだ。モダニスト的都市再開発とは、資本主義的な分業を都市計画に当てはめるもので、都市をエリアに分割しそれぞれのエリアに特定の役割を与えていくものである。例えば、ロンドンの現在シティと呼ばれる地区は金融、その西の地区はジャーナリズム、その北は商業地区といういうように。この都市再開発の目的は、ロンドンを機械的都市(London as a machine)に作り替えることであって、それこそが「近代」であり「進歩」であるとされた。このようなモダニスト的都市再開発の中で、Deptford High Streetはマーケットタウンから労働者階級の住宅街へと強制的に変革されていった。それまでのヴィクトリア朝の建物は取り壊され、そこに住んでいた人々は近隣地区への引っ越しを余儀なくされ、その結果、活気溢れるコミュニティは瓦解したのである。取って代わったのは味気のない高層カウンシルエステート(日本における公営住宅・団地)で、移民や最貧困層の失業者たちが流入し始めた。金融や商業の役割を担わされたロンドン中心部から西側のエリアが発展していくのに対して、Deptford High Streetは計画的にスラム化されていったのである。

ある「まち」の「空気」を生み出す要因として、agencyとしてしての個々人は重要な役割を果たしている。しかし、同時に、「まち」の「空気」を理解する上で、「まち」を巡る政治性を排除することはできないのではないだろうか。

ここで、政治性(the political)と政治(politics)は明確に区別される必要がある。政治性とは、ハイデガー的な言い方をすれば「社会を巡る存在論的な命題」、つまり、社会がどう構成されるべきか・どう構成されているかについての考察であり、一方、政治とは政治経済・政治社会に関する具体的な政策・制度・機関のことを指す。「まち」を巡る政治性を考えることとは、従って、「まち」をどう構成するか・どう構成されているかについて考えることである。

機械都市ロンドンの例に示されるような近代の合理主義的な都市計画で思い起こされるのは、フーコーの『監獄の誕生』である。

人々がわれわれに話しているその人間像、そして人々が解放しようと促しているその人間像こそは、すでにそれじたいにおいて、その人間像よりもはるかに深部で営まれる服従[=臣民]化の成果なのである。ある一つの《精神》がこの人間像に住みつき、それを実在までに高める、だが、この実在それじたいは、権力が身体にふるう支配のなかの一つの断片なのだ。ある政治解剖の成果にして道具たる精神、そして、身体の監獄たる精神。(p.34)

フーコーの考察は監獄という限られた空間に留まっているけれど、彼の視線は都市というもう少し大きな空間にも適用することができると思う。近代の合理主義的都市計画の背景には、人間のagencyを服従させ、人間の身体を「機械」都市の一部品として構成する力、政治性が働いているのではないだろうか。ある「まち」が、そしてその「まち」を構成する「ひと」がどの部品としての役割を担わせれるのか、それによって、「まち」の「空気感」も変わってくるのではないかな、と。究極的に、「まち」の「空気感」は、agencyとしての個人と「機械」都市の一部品としての個人のせめぎ合いの中から生まれてくるような気がする。

A

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